「混沌の作家金原ひとみ」

努力家の彼女の作品には悲しみと混沌が必ず紛れています。金原ひとみさんの父親とはどのような人なのでしょうか?
衝撃的なデビューから20年以上、文壇の第一線で活躍し続ける芥川賞作家・金原ひとみさんですが、その創作の背景には父親との複雑で深い関係がありました。
彼女の父親は、翻訳界の重鎮であり、教育者としても名高い人物です。

父親は翻訳界の重鎮!
本記事では、金原ひとみさんの父・金原瑞人(かねはら みずひと)氏のプロフィールや経歴、そして娘であるひとみさんとの絆や母との関係について、エピソードを交えて詳しく紹介します。
金原ひとみの父・金原瑞人のプロフィール

金原ひとみさんの父親は、日本の児童文学およびヤングアダルト(YA)文学の翻訳において欠かせない存在である金原瑞人氏です。
- 氏名:金原 瑞人(かねはら みずひと)
- 生年月日:1954年11月29日(現在71歳)
- 出身地:岡山県
- 職業:翻訳家、児童文学研究家、法政大学社会学部教授
- 学歴:法政大学文学部卒業、同大学院修了(文学修士)
オフィシャルHPはこちらhttps://kanehara.jp/
講談社児童文学新人賞の選考委員もつとめた。2015年(平成27年)、第一回日本翻訳大賞選考委員。
彼は英語圏のYA文学を日本に紹介した第一人者であり、知的で安定したキャリアを築いた人物として知られています。
YA文学(ヤングアダルト文学)とは?
YA文学(ヤングアダルト文学)は、中学生や高校生くらいの人に向けて書かれた物語です。友情や恋、将来の悩みなど、成長していく中で感じる気持ちをやさしく描いています。大人でも共感できる作品が多いのが特徴です。
金原瑞人さんの経歴と功績
金原瑞人氏は、翻訳家としてこれまでに600冊以上もの作品を世に送り出してきました。その功績は単なる翻訳にとどまらず、日本の出版界に多大な影響を与えています。

600冊も?!
- ヤングアダルト(YA)文学の確立
日本において「ヤングアダルト」という概念を定着させることに尽力し、思春期の葛藤を描く文学ジャンルの普及に貢献しました。 - 多数の受賞歴
1993年には『地球を救おう』で産経児童出版文化賞を受賞するなど、高い評価を得ています。 - 後進の育成
法政大学で「小説創作ゼミ」を開講し、多くの小説家や翻訳家を輩出しています。実は、娘の金原ひとみさんも中学生の時にこのゼミに参加していました。
受賞歴
- 第40回 産経児童出版文化賞(1993年):ベティ・マイルズ著の翻訳書『地球を救おう』(ほるぷ出版)により受賞しました。
法政大学金原ゼミ:kaneharazemi

いわゆる小学生高学年から中学生が読む文学ヤングアダルト文学を確立した偉人です。
娘、金原ひとみとの関係
金原ひとみさんと父・瑞人氏の関係は、単なる「仲の良い親子」という言葉では片付けられない、繊細で複雑なものでした。

お父さんがYA文学を確立した翻訳家だからこそ普通の家庭では考えられないようなこともあったんじゃないかな。
「父のようにはなりたくない」という反発
若い頃のひとみさんは、あまりに整った人生を歩む父に対し、「父のようにはなりたくない」という強い反発心を抱いていました。
仕事熱心な父は自分に興味がないのではないか、と感じていた時期もあったようです。
不登校を支えた父の言葉
ひとみさんは小学校時代から不登校を経験していますが、父・瑞人氏は「嫌だったら行かなくていい」と大らかに見守る姿勢を貫いていました。
ある時、ひとみさんが「子供の頃が一番辛かった」と吐露した際、父は「子供が苦手な子供っているんだよ」と言葉をかけました。
この言葉は、どこにも居場所がないと感じていた彼女にとって、自身の属性を肯定される救いの言葉になったみたいですね。

「子どもが苦手な子どもっているんだよ」我が子にもいってあげたい名台詞!
アメリカでの事件と、二十代での「涙の謝罪」
かつて父の海外転勤でアメリカに住んでいた頃、一度だけ父が学校へ行くことを強要し、ひとみさんが家出をした事件がありました。
それから10年以上経ったひとみさんが20代前半の頃、実家で二人で酒を飲んでいた際、父は唐突に涙を流しながら謝罪しました。 「言葉の通じない国でどれだけ心細かったか。味方でいようと思ったのに、自分も追い詰められてあんなことを言ってしまった。本当にすまなかった」。 感情をあまり表に出さないタイプだった父が初めて見せた涙と謝罪は、ひとみさんの心に深く刻まれています。

大人になってお酒も入れば本音でしゃべれることもあるよね。
母親との関係:教育方針の対立
父・瑞人氏が「行かなくていい」と大らかだった一方で、母親との関係は非常に峻烈なものでした。
- 登校の強要
母はひとみさんを学校に行かせようと躍起になり、無理やり引きずって連れて行くこともありました。 - 悲観的な態度
学校に行かないことを「世界の終わり」のように悲観し、ヒステリーを起こすこともあったため、ひとみさんは常に母と戦っているような感覚でした。 - 対照的な両親
絶望する母と、大らかに構える父という対照的な両親の間で、ひとみさんは孤独を感じながらも、父が渡してくれた本の世界にのめり込んでいくことになります。

金原ひとみさんのお母様に関する記事はこちら
まとめ
金原ひとみさんの父親である金原瑞人氏は、翻訳界の重鎮でありながら、娘の不登校という困難に対しても「書くこと」や「読むこと」を勧めることで、静かに彼女の足元を支え続けた人物です。
かつては父の「正しさ」に反発していたひとみさんですが、自らも小説を書くようになり、父のアドバイスを受ける中で、父が陰ながら自分を見守っていたことに気づき、関係は変化していきました。

実際にデビュー作「蛇とピアス」は父とやり取りをして書かれたと2000年くらいの「とくダネ!」でも語られていました。
この父娘の物語は、単なる家族の記録ではなく、一人の少女が金原ひとみとして「文学」という命綱を掴んでこの世界をサバイブしていく、再生の物語とも言えそうです。




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