心に響く!戦国武将の名言10選|生き方・覚悟・人生哲学がわかる偉人の言葉

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今日は、美文・名文に触れようということで日本の戦国武将の心に響く名言10選をご紹介します!

忙しさや人間関係に疲れて、ふと「生きづらいな」と感じることはありませんか。

そんなとき、歴史に名を刻んだ戦国武将たちの言葉に触れると、まるで時代を超えて励まされるような気持ちになることがあります。


彼らは死と隣り合わせの時代に生き、裏切りや敗北、野心と義に揺れながらも、自分の信じた道を歩みました。そんな彼らが遺した名言は、現代の私たちの心にも強く響きます。
この記事では、戦国時代を代表する名将たちの言葉を紹介しながら、その背景や人となりにも触れていきます。少しだけ立ち止まり、彼らの言葉に耳を傾けてみましょう!

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戦国武将たちの言葉が今も私たちを支えてくれる理由

名言は人生経験から生まれる

戦国武将たちの言葉には、現代では味わえないほどの重みと奥行きがあります。それは彼らが、日々の中で命のやりとりをし、愛する者を守り、裏切りに打ちひしがれ、仲間と涙を流した「命」をまるごと生きてきたからです。

時代を超えても響く美文・名文はどう生きてきたか、どのような感性を持っていたかという教科書で学ぶ歴史では伝わらない、人間の生きた声です。戦国武将の一言一言は、時代を越えて私たちの胸を打ち、人生に迷ったとき、心に響く教訓となって名言が生まれています。


死と隣り合わせの戦乱の時代を生きた武将たちの「覚悟」

明日生きている保証などない戦乱の世。そんな時代を駆け抜けた武将たちは、誰よりも「死」を意識して生きていました。

びぶーん
びぶーん

現代では普通に明日も生きていられると思っちゃいますよね。戦国の世だと「今日」「今」がすべてだったと思います。

だからこそ、彼らの言葉には曇りのない覚悟と真実があります。

「命を賭けて信じたこと」からこそ生まれる、揺るがない信念。命の価値を知る者の語る言葉は、私たちの心に深く刺さります。

たとえ今がどんなに苦しくとも、生きる意味や前を向く勇気を思い出させてくれる力があると思います。


「強さ」だけでなく「弱さ」を知る人間的な魅力

戦国武将というと、力強さや勝利ばかりが語られがちですが、実は「弱さ」を知る者こそが真に人の上に立っていたのかなぁという気もこの名言記事を集めて思ったことです。敗北の悔しさ、裏切られた悲しみ、自分を疑う夜も、きっと彼らにもあったはず。それでも前に進んだ彼らの言葉は、私たちに「弱くても、立ち上がれ!」と教えてくれるような気がします。人間らしい痛みや優しさがこもった言葉ほど、面白いなぁと魅力的に思いますよね。

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心に残る戦国武将の名言10選

伊達政宗

この世に客に来たと思えば何の苦もなし

― 伊達政宗(戦国武将)

東北の覇者として知られる伊達政宗は、わずか17歳で父の死をきっかけに家督を継ぎ、一代で奥州を統一に導いた名将です。その鋭い戦略眼と強い個性から「独眼竜」の異名で呼ばれました。NHK大河ドラマの独眼竜正宗は大河ドラマ史上最高の最高視聴率は47.8%を記録したほどに人気の武将ですね!

「何の苦もなし」と語っていることは「苦があった」からこそ出てきた言葉だということは容易に予想できますね。とても苦労して耐えられないような痛みがあったからこそ「この世に客に来たと思えば」いいという発想に至ったのだろうと予想されます。

現代でも「この世に客に来たと思えば」どんな体験もこの世の「おもてなし」甘みも苦みもすべて味わって行って下されという考え方もできますね。

びぶーん
びぶーん

この言葉の背景には日本のおもてなし文化があったからこそ客に来たと思えばという言葉が出てきたのだろうと思われます。西暦1600年前後から「おもてなし」文化はあったんですね。茶道があったからあったのだと思われます!

前田利家

人間は不遇になったとき、
はじめて「友情」
なんたるか知る。

前田利家(戦国武将)

前田利家(まえだとしいえ)は、豊臣秀吉の側近として知られ、加賀百万石の礎を築いた戦国武将です。もとは織田信長の家臣で、若き頃は武勇に優れた槍使いとして活躍。その後、信長の死後に秀吉を支え、北陸を平定。晩年は徳川家康との対立を調整するなど、戦乱を超えた平和の担い手としても知られました。

若いころは織田信長のお気に入りの茶坊主が前田利家に無礼をしてしまって切り殺すという事件がありました。お気に入りの茶坊主を切り殺した前田利家に織田信長が激怒して信長軍を勘当されてしまいます。織田信長の側近ということで、色々な人が寄ってきましたが、勘当されてしまってからはみんなに敬遠され、生活に困ってしまう前田利家を助けたのが豊臣秀吉でした。

本当の苦境でこそ知りうることが出来る「友情」というものは、不遇に陥ったピンチの状況では友情を探すチャンスだととらえることもできる素敵な名文です。

武田信玄

一生懸命だと知恵が出る。
中途半端だと愚痴が出る。
いい加減だと言い訳が出る。

武田信玄(戦国武将)

武田信玄(たけだしんげん)は、「甲斐の虎」と称された名将。戦国最強とも言われた武田騎馬軍団を率い、軍略に長け、徳川家康や上杉謙信と名勝負を繰り広げました。その実力は、のちの戦国大名たちにも大きな影響を与え、「風林火山」の旗印でも知られています。

びぶーん
びぶーん

風林火山は有名ですよね!〇○だと〇○がでるというのは名言ではよく使われているテンプレートですが、武田信玄という人が以下に己に部下に厳しかったのかが分かる名文です。現代のビジネスマンにも通づるところがある言葉ですね。

仕事に、勉強に、人間関係に――私たちも日々「どうせ無理」と諦めそうになる瞬間があります。けれど、この信玄の言葉は、まず「本気になる」ことの大切さを思い出させてくれます。一生懸命やってみることで、必ず何かが動き出す。自分を信じて力を尽くす。そんな前向きな姿勢を、信玄は今も教えてくれますね。

漫画「宇宙兄弟」でも「本気でやった失敗には意味がある」という似たような名言もあることから本気でやることが大事なんだと教えられます。

徳川家康

人は「負け」を知りて、
はじめて人より勝れり。

徳川家康(戦国武将)

徳川家康(とくがわいえやす)は、江戸幕府を開き、260年以上続く平和の基盤を築いた戦国時代の終着点を象徴する大名です。若き日は人質として苦難を味わい、多くの敗北と屈辱を重ねながらも、冷静な判断力と忍耐によって最終的に天下を統一。長き戦乱の世を終わらせた偉大な政治家でもあります。

負けることで初めて痛みを知り己に何が足りないのかを知る。足りないものを埋める努力をしながら人は成熟して人より勝ることが出来るのだと家康の実感がこもった言葉ですね。

徳川家康は三方ヶ原(静岡県浜松市北区)で武田信玄の軍勢に戦いを挑んだが、敗走する家康は、あまりの恐怖に脱糞してしまったことを家臣から指摘されたとき「これは味噌だ!」と言い訳居たことでも有名なエピソードですよね。誰よりも負けを知った家康だからこそ300年という長きにわたる江戸時代を築けたのだと思います。

真田幸村

「恩」を忘れ、
私欲をむさぼり、
それを「人」と呼べるか。

真田幸村(戦国武将)

真田幸村(さなだゆきむら)は、徳川家康が最も恐れたとされる戦国武将。大坂の陣ではわずかな兵で家康本陣を脅かし、「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と称されました。誠実さと勇猛さを兼ね備えた武将であり、義を重んじるその生き様はいまなお多くの人を魅了していますね。

主家である豊臣家への忠義を最後まで貫き、家康の大軍に立ち向かった幸村。この言葉には、自分を支えてくれた人への「恩」を決して忘れず、欲に溺れずに生きよという強い信念が込められています。彼にとって「人間らしさ」とは、誠実さと義を守る心だったのでしょう。

「恩」は人から受け取る人間独自の感情。私利をむさぼるのは動物としての本能的な衝動。「恩」を感じてこそ「人」として成立するという現代の道徳教育にも通づる考え方ですね。

上杉謙信

運は天に、
鎧は胸に、
手柄は「足」にあり。

上杉謙信(戦国武将)

上杉謙信(うえすぎけんしん)は、越後の龍と称された名将で、義の武将として知られています。私利私欲を嫌い、仏教を篤く信じて清廉な生き方を貫いたことで、多くの戦国大名から尊敬されました。宿敵・武田信玄との「川中島の戦い」では、伝説的な一騎打ちを演じたことでも有名です。

この言葉には、人生と戦における心得が凝縮されています。「運」は天に任せ、「鎧」は覚悟を胸に抱き、「手柄」は日々の努力と行動で築く。謙信はどれほどの天才であっても、勝利は天命ではなく、行動によって得るべきものだと知っていたのでしょう。

IT技術が発達した現代でも警察の捜査や記者の取材などは「足」で稼げと言われていますよね。覚悟を持って物事に挑むんだ!という背中を押す一言に聞こえますね。

北条氏綱

勝って兜の緒を締めよ。

北条氏綱(戦国武将)

北条氏綱(ほうじょううじつな)は、関東の戦国大名・北条氏の中興の祖。父・早雲の志を継ぎ、戦略的な拡大と内政の強化を両立させた名君です。感情に流されず冷静沈着で、堅実な統治により多くの民からも信頼されました。

勝利した時こそ、油断が生まれる――。その危険を知っていた氏綱は、戦に勝ったからといって浮かれず、常に次の備えを怠るなと戒めました。この言葉には、慢心が最大の敵であるという、冷静で現実的な洞察が込められています。

うまくいっている時ほど、気持ちが緩みがち。昇進した時、試験に受かった時、恋が実った時…うまくいったらしっかり自分を褒めてあげてから足元を見直し、準備を続ける姿勢が、長く強く生きる力なのだと北条氏綱は教えてくれます。

黒田官兵衛

人生とは一瞬の夢よ。けっして準備を怠るな。

黒田官兵衛(戦国武将)

黒田官兵衛(くろだかんべえ/如水)は、戦国時代屈指の軍師として、豊臣秀吉の天下統一を陰で支えた人物。冷静な戦略眼と知略に優れ、後の天下を狙える器とも称されました。洗礼名は「ドン・シメオン」。キリシタン大名としてNHK大河ドラマではV6の岡田准一さんが主演を務めていましたね。

黒田官兵衛は、自らが牢に囚われ心身を壊した経験や、戦国の無常を知り尽くしていました。その中で見出したのが「準備」の大切さ。人生は一瞬、いつ何が起きるかわからない。だからこそ、最悪を想定し、最高の準備をしておけ――それが如水の哲学でした。

びぶーん
びぶーん

準備の大切さを唱えるところは現代サッカー選手の本田圭佑さんと共通するところがありますね。

忙しい日々に追われて、つい「なんとかなる」と思ってしまう私たち。でも一瞬のチャンスをものにするにはしっかりと準備をしてきた人だけに訪れます。人生の一瞬の夢を掴めるようにいつでも準備万端でいたいですね。

島津義弘

たとえ討たれることになろうとも、
敵に向こうて死すべし。

島津義弘(戦国武将)

島津義弘(しまづよしひろ)は、薩摩の勇将として知られ、「鬼島津」の異名を持つ名武将。関ヶ原の戦いでは圧倒的不利な状況下で「敵中突破」を成功させ、最後まで誇り高き武士の姿を貫きました。

義弘の信条は、たとえ死が目前に迫っていても、逃げずに敵に向かって突き進むこと。その背中には部下や民が見ている――武将としての覚悟と、美学がこの言葉に凝縮されています。死を恐れず、生き様で語ることがこの名言には含まれています。自分の名誉を重んじて、それを見ている家臣を重んじて、自分にも他者にも敬意を払うからこそ生まれた名言です。

たとえ討たれることになろうとも、敵に向こうて死すべし。現代では推奨されない気持ちのありようですが、たとえ討たれることになろうとも、敵に向こうて死すべし。このような気持ちになるような出来事と出会えたなら、それはそれは幸せなのではないかと思ってしまいます。

豊臣秀吉

障子を開けてみよ。世の中は広いぞ。

豊臣秀吉(戦国武将)

豊臣秀吉(とよとみひでよし)は、農民の出身から天下人へと成り上がった、まさに「戦国一の下剋上」の象徴的存在。人たらしの才を持ち、機転と行動力で織田信長の家臣から一国の主へと上り詰めました。

この言葉には、「今いる場所の価値観に縛られるな」という秀吉の視野の広さと好奇心が表れています。自分の殻を破るには、まず障子を開けること。狭い世界から一歩外へ出れば、そこには無限の可能性が広がっている――そう彼は知っていたのです。

「もう年だから」「どうせ無理」――そんなふうに自分を閉じ込めてしまってはいませんか?秀吉のように、一度その障子を開けてみましょう。自分の可能性を信じる勇気を、秀吉自身の功績が残してくれました。

びぶーん
びぶーん

障子を開けてみよ。世の中は広いぞ。

これは現代でも通じるし、自分自身も未知の世界に飛び出すのは怖いけど自分のいる世界がすべてじゃないから世界を見て広さを感じるのも大事だなと思わされました。転職するときに後押ししてくれる言葉ですね。

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心に響く!戦国武将の名言10選

いかがでしたか?心に響く!戦国武将の名言10選!

ギリギリの命のやり取りをしていた戦国武将の言葉は現代人よりも真剣な「生」を生きていました。一瞬の判断が命を分ける彼らの「生き様」から生まれた名言は、人生の岐路や日常の小さな選択にもヒントを与えてくれます。

あなたに刺さる名言はどのような名言でしたでしょうか?お気に入りの名言があればコメント欄にて教えてください!

最後まで読んでくださりありがとうございました。

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