「もうこんな人生嫌だ……。何もかもが上手くいかない」そう思ったときに読むとやさしく読み手を肯定してくれる一冊です。
凪良ゆうさんの2020年本屋大賞受賞作『流浪の月』を読み終えたとき、この世界観に浸ることで楽になった。そう思う方も多いのではないでしょうか?
この物語は、かつて世間を騒がせた「女児誘拐事件」の元被害者・家内更紗(さらさ)と、元加害者・佐伯文(ふみ)の15年後の再会を描いています。しかし、そこにあるのは世間が想像するような「女児誘拐事件」でも「悲劇」でも「残酷」さでも「恐怖」でもありません。
主人公・更紗の葛藤に共感し、時には「もっとこうすればいいのに」ともどかしさを感じながらも、なにをやっても幸せになれない主人公たちに自分を重ねて癒してくれる物語です。
1. 『流浪の月』のあらすじ
「ふみぃぃぃ。ふみぃぃぃ」鼻を赤くしながら、涙を流し、涎や鼻水が顎に滴るくらい泣きながら誘拐犯 佐伯文との別れを悲しがる少女 更紗。
10歳の少女・更紗は、家族との関係に傷つき、居場所を見つけられずにいた。ある雨の日、公園でひとり過ごしていた文に声をかけた。文は更紗を自宅に迎え入れ、二人は穏やかな日々を送る。更紗にとって文との時間は、初めて安心できる大切な居場所だった。しかし、その生活は長く続かず、文は世間から誘拐犯とみなされて逮捕されてしまう。それから15年後、大人になった更紗は新たな人生を歩んでいたが、偶然にも文と再会する。再び交差した二人の運命は、過去の出来事と向き合いながら、それぞれの幸せの形を問いかけていく。
2.『流浪の月』感想
文を更紗は、互いがいればそれでよかった。
自分の自由を表現できる更紗と自由を教えてくれる更紗と一緒にいる文は伸び伸びと「怠惰」という人生の「贅沢」を味わい尽くします。休みの日には朝から宅配ピザを取って、テーブルに置かずにピザは布団のそばの床に置いて、行儀が悪いと知っていても、寝ながら食べる「堕落」を味わい、夕ご飯の代わりにアイスを食べます。文の家に合ったアイスはハーゲンダッツのような気もしましたが、たぶんレディボーテンでしょう。小さなカップから取り出さず、大きな塊から取り出した覚えがレディボーテンの方がしっくりきます。
怠惰をすると怒られる「育児指南書」が「聖書」の環境で育った文はこんなことしていいの?と思いつつも更紗につられて「堕落」を享受しながら、だんだん「まぁいいか」という曖昧な自分の心を責めすぎない感覚をつかんでいきます。
自分の心を責めすぎないって難しいと思いませんか?
何か起こったらもしかしたら自分の行いのせいでと思っている読者のあなた。
それはあなたのせいじゃありません。あなたの「曖昧さ」がなく、社会が決めた偏見という「境界線」によって自分自身を責めているのです。

まじめすぎると社会として間違っている!という思い込みが強くなりすぎちゃうよね。
文と更紗の「堕落」した生活は、個人レベルではなく、社会レベルまで目線を弾いていくと社会が解決しなければならない「誘拐事件」の一幕になります。
社会からすれば「保護者の同意なしに連れ去った誘拐事件」なのですから解決しなければなりません。警察に被害届を出して、更紗の捜索。更紗が見つからないとなると顔写真をテレビに映してみんなに探してもらう。
世間は子どもの誘拐事件には敏感です。
「かわいそう」「親は何をしているんだ?」
「私が考えるとこうなんじゃない?」
全国で名探偵が推理をして
「親が悪いんじゃないか」
「親族が」
「先生が」
名探偵の推理は止まりません。
なぜなら、社会の関心事に一生懸命な人々は「退屈」で「ヒマ」な生活を送っており、刺激的なニュースで自分を満たしたい。ヒマつぶしをしたい。退屈を紛らわせたい。自分の責任のないところで刺激だけ享受したい人にあふれているからです。
文の背景や更紗の個人的な背景などお構いなしに社会的に「おかしい」とされることを「正しさ」で糾弾する「善良さ」に満足している市民たちです。もちろん、個人の性格背景まで考慮してニュースを見ている余裕はないでしょう。ただ人々の「良いとされる」規範によって、文も更紗もこの事件が解決しても社会からの「好奇の目」という不幸が付いて回っていきます。
凪良ゆうさんは、登場人物を不幸にして、読者の気を弾く設定にする傾向があります。
1990年代にヒットマンと呼ばれ人を脚本上で殺して視聴率を取ってきたヒットメーカー野島伸司も似たような設定をしていました。フジテレビひとつ屋根の下では、なぜこの家族だけ毎回毎回不幸が降りかかるのかとささやかれていましたが、エンターテイメントでは人を不幸にして共感を集めて解決するというフォーマットが、受けるのだろうと思います。
まんまと今回「流浪の月」でも私はやられました。「流浪の月」の世界観に入り込んでいまったら、もうこの本の続きが知りたい。「流浪の月」の世界観に浸っていたい感情で本に引っ張られてしまっています。読後に関しても、物語は終わったにもかかわらず「流浪の月」の世界にいるみたいです。
親が突然消えた更紗、小児性愛障害をもった文、不幸にも出会いは社会的事件となり、事件が解決しても罪を償っても(文は更紗を不幸にしていない、むしろ救い主でした)が、社会的責任を文はおったにもかかわらず、ずっと付きまとう事件に、どう更紗と文は自分の心の安住の地を見つけるのか?
「流浪の月」の世界にいると自分の置かれている状況なんてむしろ幸せな方なんじゃないかと思えてきます。「もうこんな人生嫌だ……。何もかもが上手くいかない」そう思ったとき、「流浪の月」を読んでみてください。世界はもっと過酷だと思えてくることでしょう。
本屋大賞なのも納得ですし、映画化されたのも納得。
この世で起こるすべてのお薬は本の中にあります「流浪の月」のお薬はきっと「もうこんな人生嫌だ……。何もかもが上手くいかない」と思ったときに寄り添ってくれる物語だと思います。
まとめ
『流浪の月』は、世間が決めた「正しさ」と、当事者が感じる「幸せ」の違いを描いた物語です。
更紗と文は社会から見れば「被害者」と「加害者」でした。しかし、二人にとってはお互いが初めて安心できる居場所であり、心を休められる存在でもありました。
本作を読んでいると、「普通とは何か」「幸せとは何か」「世間の常識は本当に正しいのか」と考えさせられます。そして、うまく生きられない自分や、周囲に理解されない苦しみを抱える人にそっと寄り添ってくれる作品でもあります。
もし今、「もうこんな人生嫌だ」「何もかも上手くいかない」と感じているなら、『流浪の月』を手に取ってみてください。物語の中で懸命に生きる更紗と文の姿は、きっとあなたの心を少しだけ軽くしてくれるはずです。
読後には、悲しさだけではなく、自分らしく生きることの大切さを静かに教えてくれる一冊でした。




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