読書家は偉そうだ。「冊数」で人を殴るのをやめなさい

エッセイ
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『「冊数」で人を殴るのをやめなさい』とちょっと刺激的なタイトルにしましたが、本文は駄文になっております。お気軽にお読みください。

読書家って、偉そうじゃないですか?

「月に何冊読んだ」「年に300冊読んだ」と、読書量を武器にマウントを取り合っています。あるいは「これだけ積読(つんどく)している」と誇り、それが無意味だと言われれば「買うだけでも優雅な趣味なのだ」と返す。

びぶーん
びぶーん

本を読むことに偉いも何もないです。読んで素敵な体験が出来ればそれでいいと思っています。

昨今、文芸書一冊が2,000円を超え、新書で1000円を超えてくるのは「新書で?!」と紙の高さを嘆くよりほかない。つまりは書籍、本が高級化しており、限られた神々だけの「遊び」それが読書になりつつあります。

しぃしぃ
しぃしぃ

まさに、読書は「神々の遊び」になっていくのかも…。図書館利用しよう!

神々の「遊び」である「読書」は読めば読むほど知的な学習ができるらしいという風潮は日本国内に充満していますよね。つまりは「本を読む人が偉い」「あなたは月1冊しか読んでいないの?私は10冊読んだわよ?私は30冊ですけど?私は50冊!」

数値化された殴り合いはSNSのフォロワーの競い合いにも言えることですよね。

びぶーん
びぶーん

1冊という数値化がマウントの取り合いになっています。

でも、果たして本を読んだからと言って賢くなるのかというと人によるとしか言えないと思います。

私自身、昔から本を読むこと自体は好きでした。本といっても、いわゆる「文芸誌」ばかりではない。漫画が特に好きだった。

「漫画は読書に入らない」と言う人もいらっしゃいますが、私が紙の本と初めて出会ったのは小学1年生の時の『月刊ボンボン』や『コロコロコミック』でした。すっごく発売日楽しみでした!

小学3年生になれば森田まさのり先生の『ろくでなしBLUES』を読みふけり、健全な不良に憧れる少年に育ちました。もちろん『ドラゴンボール』や『幽遊白書』、『るろうに剣心』といったジャンプ黄金期の作品に胸を躍らせ、中学に入れば『ワンピース』や『HUNTER×HUNTER』を追いかけつつ、村上龍、五木寛之、天童荒太、赤川次郎、浅田次郎、東野圭吾などを雑食のように読みました。

中学2年生の頃には、標準的な日本人の価値観である太宰治の『人間失格』に深い共感を覚えたものです。あとは興味のある本を文芸誌、漫画、雑誌と何でも手に取ってきました。

びぶーん
びぶーん

年間300冊!までは読んでないと思います。ちょこちょこ興味のある本を読んで没頭してきた感じですね。

でも、だからといっていい大学に入ったわけでも、特別な大企業に勤めているわけでもないです。

標準的な日本人の一人として生活している自分の実感から言えば、「本を読んだからといって、それだけで賢くなれるわけではない」と断言できます。冊数読んだからと言って「偉い」訳ではない。

学生時代、どのクラスにも一人は「面白い奴」がいたと思います。
話し合いの中で、即座に気の利いた返しができる奴です。なんであんなに面白いことが返せるんだろう?と不思議でしたが、大人になって思うことは、あれは一種の「運動神経」であって、本を読んだからといって身につく反射速度ではない。ということです。

むしろ、そうした「面白い奴」ほど、本など読んでいなさそうなタイプが多かった。それでも彼らは、目で追ってしまうほど賢く、魅力的でしたよね。

びぶーん
びぶーん

本を読むことと違った価値観がたくさん存在するってことですね。

それなのに、読書家はなぜこうも偉そうなのだろうか?
企業年商10億を語る社長に対し、「うちは年商6,000億ですから」と返すフリーザ並みの戦闘力マウントが、読書の世界でも横行しているように思います。

すべては「比べる」ことから悲劇が生まる。

なぜ読書量や読んだ内容を比べるのか。人より読んだからといって、その人より賢いわけでも、偉いわけでもない。文芸評論家の三宅香帆さんのような多読家を見て、「すごいな」と素直に思う一方で、心のどこかで嫉妬が生まれるのは、自分の中に「比べる物差し」があるからだと思います。その物差しを絶対的な指標にしてしまうから、優越感や劣等感に振り回され、その間で「偉そうな態度」が醸成されていきます。

しぃしぃ
しぃしぃ

本を読んだ感想を人に言って共有したいのも分かる!

ここで、はっきり言っておきたいです。

読書家は、偉そうにしてはいけない。

月の冊数で相手を殴ってはいけない。

なぜなら、偉そうに振る舞うことは、自分にとって「損」だからです。いくら年間300冊を読んだからと言って冊数で相手を殴ってはいけません。

50代で子育てを終え、読書時間がたっぷりある人の10冊と、大学生がレポートのために必死で読み込む参考文献の1冊を、どうして同じ土俵で比べられるだろうか。そもそもレポートのために一文を見つける参考文献を読んだ「冊数」で数えていいものかさえ怪しい。

「読んでやった」ではなく「読ませていただきました」という謙虚な気持ちがすばらしい。

偉そうにした瞬間、あなたの人格が「損」をする。

読書は本来、もっと自由で、個人的なものであるはずです。

さてさて、次の面白そうな一冊は何かな?

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