【読書感想文】村上春樹『ねむり』の感想・考察|眠らない主人公が手に入れたものと最後の結末を考える

村上春樹『ねむり』の感想・考察|眠らない主人公が手に入れたものと最後の結末を考える よむ
記事内に広告が含まれています。

さて、一冊読み終わったので感想を綴りたいと思います。

村上春樹「ねむり」となります。

この作品は、「ノルウェイの森」「ダンス・ダンス・ダンス」で成功を収めた村上春樹さんが小説を書くことができなくなってしまってから、復帰されたちょっと長い短編小説です。

三宅香帆さんの「夫婦」不在社会を読んで「夫婦」をテーマにされているから、ちょっと読んでみよう。そんな軽い気持ちで読み始めました。

ちなみに、手に取ったのはアートディレクトされた2010年の「ねむり」になります。

オリジナルは、1989年に雑誌『文學界』に短編小説『眠り』として発表され、イラスト版での復刻が2010年。ドイツのイラストレーターであるカット・メンシック(Kat Menschik)による挿絵(濃紺と銀色を基調としたグラフィック)をあしらった「アートブック(ビジュアルブック)」形式で復刻出版されました。

読んでみると、さすが村上春樹。「宇宙を手のひらの中に収めて来るな」という「アフターダーク」にも似た小説でした。

スポンサーリンク

ねむり あらすじ

主人公は、歯科医の夫と幼い息子を持つ30歳の平凡な専業主婦。ある夜、痩せた老人が自分の足に水をかけ続けるという奇妙な悪夢(金縛り)を見たことをきっかけに、彼女は一切「眠る」ことができなくなります。

しかし、体に衰えや倦怠感は一切現れず、むしろ意識は冴えわたり、肌のハリが増し、肉体は若々しく変化していきます。眠らなくなったことで膨大な「自由時間」を得た彼女は、夫や子供が寝静まった夜中に、昔好きだった『アンナ・カレーニナ』の読書に没頭し、チョコレートを食べ、ワインを飲み、プールで泳ぐといった「自分のための時間」を密かに楽しみ始めます。 しかし17日目の夜、彼女は夜中に車で出かけ、暗闇の中で車を停めていると……。

冒頭の「眠れなくなって17日めになる」から始まるなぜ眠れなくなったのか?眠りとは人間にとって何なのか?から私という存在はこの宇宙にとってどのような存在か?という村上文学独特のテンポに乗って軽やかに少し湿り気を持って語られるのが「ねむり」です。

びぶーん
びぶーん

ちょっと最後どうなったのか分からない終わり方をします。

スポンサーリンク

感想

「あなたはハンサムね」と主人公は夫に言うのですが、全然ハンサムと思っていない夫に対して社交辞令のように或いは、夫婦とは夫のことをハンサムだと思うものだという規範に乗っ取って発言する主人公は社会のモデルをコピーしたかのような存在でありたいと思ったのかなと思いました。

また、その言葉を受けた夫もまた「ああ、僕ってハンサムだから」という受け答えは、空々しい、寒さと虚無を含んだ会話のやり取りに見えるものの、「夫婦感におけるコミュニケーション」って実は、こうな方がうまくいくのでは?という疑問も持たざるを得ないです。

しぃしぃ
しぃしぃ

夫婦で惚気る人はいるけど、思ってもいないことをいう夫婦ってこういうものでしょう?にとらわれた夫婦に見えたわ。

夫婦感で本音で話し合ったことありますか?

もちろんあると思います。

でも、本音で話し続ければ話し続けるほど、どうなりました?

多分、妥協点が訪れて、その妥協点に不満があれば鉛の様に納得のいかない思いを体に宿し、夫婦感での沈黙を呼び起こすような気がしてならないのです。

虚無であれ嘘であれ、ポジティブな言葉を載せて、ポジティブな会話をした方が衝突が少ないのではないかと思った次第です。

びぶーん
びぶーん

お互いに夫婦の仮面をつけたコミュニケーションであったとしても「夫婦」は維持されるってことですね。

まぁ、現実はそんな「嘘」で塗り固められた生活にはあまりならないのですが、結局はたまに「虚無」のようコミュニケーションも夫婦の間には必要だということです。

スポンサーリンク

眠れなくなって不都合はあったか?

ショートスリーパーでお馴染みの堀大輔氏が話題ですが、「ねむり」の主人公は寝ないことによって

初期は、眠れない不安にかられて、

中期は眠らないことによって人生を獲得していると言う想いに駆られます。

「普通の人が寝ている間に活動しているのだから人の3分の1は得をしている」と眠れないことを活かそうとしています。

実際に眠らなくてもジムに通って水泳を楽しみ、身体のプロポーションを維持する活動もやってのけました。眠らなくてもいいというのは活動の幅を広げる。眠らないことでっ人生を獲得しているというのは本当の所だと思います。

私の親戚のおじさんの話なのですが、彼は建設業で「眠る時間が一番の無駄やと思っとる!わしは寝ない!」と3時間睡眠のおじさんがいましたが、活動的でゴルフなどのコンペをするときには必ずと言っていいほど賞を取り、カラオケもうまくて、ボーリングもうまい人でした。

もしかしたら、人が眠っている時間に何らかの特訓ができったのかもしれないと思ったりします。

しぃしぃ
しぃしぃ

普通の人はちゃんと寝た方がいいと思うわ!

「ねむり」の主人公の終わりに近づいていくと、

眠って休息を得てから、何を獲得するのか?

その獲得したことに意味はあるのか?

今夜、夜中に飲むブランデーが焼けるようにのどを通過するとき、そのブランデーは自分の一部でもあり、この宇宙の一部でもある。

視点は人間個人から、スペースシャトルから地球を見ている視点に移る、さらに遠く、銀河系を俯瞰して1000億個の銀河をまとめて見られる遥か彼方の無限の宇宙へ旅立ち、また次に飲むブランデーの一口に移る。

主人公は「耐えられない人間の存在の軽さ」に絶望しながらも、次の日に生きる活力が身体を動かして夜中をマイカーで走っていくように思いました。人間一個人にとって「命」は重いですが、宇宙の一呼吸においては、塵にすらならない存在を自覚して外に出かけていきます。

個人と宇宙の視点の交わりは村上作品によく登場します。「アフターダーク」にも、水を沸騰させるシーンで宇宙の果てまで意識が飛ばされる階層があるのですが、人間の存在の軽さをちょこちょこと村上春樹は入れて来るなという感想でした。

眠れなくなって不都合などないものの、この小説のラストは不穏なシーンへ突入していきます。

気になる方は、「ねむり」カット・メンシック(Kat Menschik)による挿絵(濃紺と銀色を基調としたグラフィック)をあしらった「アートブック(ビジュアルブック)」形式で見てみるとその独特な世界観に引き込まれていくでしょう。

スポンサーリンク

ネタバレあり最後どうなった?

眠れなくなって17日目。主人公は深夜2時にホンダシティで夜の埠頭に出かけます。そこで車を止めていると若い男性3人か4人が車を揺らし始めます。

何が起きているのかという恐怖を感じていると、揺らし始めたのではなく、車を転覆させようとしていることに気付きます。

車のエンジンをかけようとしたら、なぜか車のエンジンがかかりません。このホンダのシティは3カ月に一回くらいエンジンがかからなくなっていた。それはこの車の良さであると思っていたし、気にもしていなかった。でも、いまかかって逃げ出したい時に限ってエンジンがかからない!!

こんな感じの終わり方だと思いますが、この3つの考察をしてみましょう。

  1. 夢だった
  2. 死んでしまっている
  3. 幻想より目覚める現実説

夢だった。

17日間も寝ていないなら自然に寝ていても不思議ではありません。

また、男に車を転覆させられるピンチの時に限って車のエンジンがかからない。そんな夢見たことありませんか?

びぶーん
びぶーん

僕がよく見る夢は、ピンチで誰かを呼ばないといけないのに何度やっても携帯電話の番号が打てない。そんな夢をよく見ます。

ピンチの時にうまくいかないという感情のコントロールを無意識化で行うという夢の特性からして、この車のエンジンがかからないということは夢の世界へ自然に旅立っていったことを意味します。

17日間眠れなかった。しかし、自然に寝た。目覚めるときは夢の中で死ぬ時です。

死んでしまっている

正確には死んでしまう昏睡状態の最中で見る妄想とでもいえばいいでしょうか?

現実と幻想の間に車で夜の海まで出かけてカップルがペッティングをしているような、錆びれた場所で襲われる。逃げられないという幻想を脳内で感じている状態。

17日目にもなると妄想も出だしておかしくないはずなので、死んでしまう途中にこのような夢を見ている。

夢を見ている段階で「眠り」に入っているのですが、覚醒状態ではないのではないかと考察されてもおかしくない描写ですね。

幻想より目覚める現実説

もう17日間も眠れない。という妄想から、現実に対して、覚醒途中である。

眠れなくて身体に影響のない人なんてこの世にいるのでしょうか?

村上龍の小説に書いてあったのですが、アフリカのある部族では睡眠を必要としない部族がいると聞いたことがあります。ボートの上で生活する部族で一日中ボートの上でぼーっとしています。脳内カロリーを使わないので「睡眠」自体必要としないという部族です。活発な脳内信号は発見されない代わりに「睡眠」を必要としません。

びぶーん
びぶーん

あくまでも、眠らない部族はフィクションだと思います。

かわりに、その部族以外はもれなく、「睡眠」が必要なのです。少年サッカーでは睡眠の重要性が説かれます。睡眠を取れていない子どもは怪我をする確率が高い、睡眠をとらないと身体が大きくならないことが分かっているので、眠ることを勧められています。

子どもがサッカーをはじめたら読む本も15選でまとめてありますので、ご興味があればご覧ください。
【図書館司書が選書】子供がサッカーを始めたら保護者が絶対に読むべきおすすめ本

17日間眠れていないということこそが幻想であり、その幻想から目覚める途中で車を転覆させられそうになる状況を脳内が生み出しているとも考えられます。

びぶーん
びぶーん

ともあれ、このラストをどう取るかは、読者にお任せになっております。

スポンサーリンク

まとめ

村上春樹の『ねむり』は、「17日間眠らない」という不思議な設定から始まりながら、読み進めていくと、単に「人は眠らなくても大丈夫なのか?」という話だけではないことに気づかされます。

主人公は眠れなくなったことで、これまで家族のために使っていた時間から解放され、夜中に『アンナ・カレーニナ』を読み、ワインを飲み、泳ぐなど、自分だけの時間を手に入れます。

一方で、夫との会話には「夫婦とはこういうもの」という型にはまったコミュニケーションが描かれています。思ってもいないことを口にしながら、それでも夫婦という関係を維持している姿には、夫婦の間には本音だけではなく、ときには「嘘」や「虚無」を含んだ会話も必要なのではないか、と考えさせられました。

そして物語の終盤になると、視点はさらに大きくなります。

眠ることで休息を得て、その時間を使って何かを獲得する。それでは、そもそも人間が生きることにどんな意味があるのか。

主人公の意識は、一人の人間から地球、銀河、そして果てしない宇宙へと広がっていきます。その一方で、最後にはブランデーの一口という極めて個人的な感覚へ戻ってくる。この「個人」と「宇宙」の視点の行き来が、村上春樹らしいところだと感じました。

最後は、主人公がどうなったのかを明確には説明しないまま終わります。

「夢だったのか」「死の直前だったのか」「幻想から現実へ目覚めようとしていたのか」。

どれが正解なのかは、読者に委ねられています。

だからこそ『ねむり』は、読み終わったあとにも「結局、あれは何だったのだろう?」と考え続けてしまう作品なのだと思います。

個人的には、眠らないことで自由を手に入れた主人公が、最後には「人間の存在の軽さ」にまで思いを巡らせる展開が印象に残りました。

短い作品ですが、「眠り」「自由」「夫婦」「人生」「人間の存在」と、さまざまなことを考えさせてくれる一冊です。

びぶーん
びぶーん

『ねむり』のラストをどう解釈するかは、ぜひ実際に読んで自分なりの答えを探してみてください。

この記事を書いた人

bibroom

図書館司書資格保有|心理学専攻卒|元宝石店員|3児の父

働きながら通信大学で心理学を学び、 図書館司書の資格を取得。現在は3人の子育て中。 学び・教育分野の発信者。年間200冊以上の本を子どもたちと読み続けながら、 「本当に子どもの心に刺さる一冊」を探し続けています。 本のおすすめから司書を目指す人への情報、 エンタメ・エッセイまで人の心を動かすものすべてをテーマに執筆しています。

よむ
スポンサーリンク
ブログ村
びぶーんをフォローする
スポンサーリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました