「新書の女王 三宅香帆」が現代の夫婦像に迫る結婚生活にしっくりこない夫婦に送る「「夫婦」不在社会」が7月16日に出版。
ラインナップは
・【推しの子】、『THE FIRST SLAM DUNK』『汝、星のごとく』の共通点とは?
・月9ドラマ『海のはじまり』が描こうとしたものとは?
・なぜ村上春樹が描く「夫」は沈黙するのか?
・坂元裕二が『ファーストキス』でたどり着いた「夫婦」の形とは?
etc…

三宅香帆は現代のヒット作からどのような夫婦像を語るのだろう?
この記事では、三宅香帆さんの「「夫婦」不在社会」を読む前にちょっと夫婦関係を明治期からおさらいできます。明治期から平成後期まで「夫婦」のロールモデルをまとめてみました。
夫婦は、いつから存在していたのか?
そもそも「夫婦」とは、コトバンクによれば
―――婚姻関係にある男女の一組。夫と妻。めおと。
とある。
婚姻関係があれば夫婦と呼べるのだろうか?
婚姻関係とは
―――2 男女の継続的な性的結合と経済的協力を伴う同棲関係で、社会的に承認されたもの。 法律上、両性の合意と婚姻の届け出によって成立する。
である。婚姻届けが市役所に受理されれば夫婦は完了している。夫婦が不在である社会とはどのようなことだろう?
日本で婚姻届の提出が制度として導入されたのは、1898年(明治31年)。
それ以前は結婚という形式はありながらもお互いの家族同士や、近所のおっちゃんおばちゃんの認識で彼ら彼女らは結婚しているという「認識」によって成り立っていました。
法的に婚姻関係が出来たのは明治期になってからなんですね。
明治中期:家父長制の「亭主関白と従順な妻」
明治中期では、家父長制の夫婦は「亭主関白と従順な妻」でした。
現在でも「亭主関白と従順な妻」の残り香がある男性も多いのではないでしょうか?ふざけるなという女性の声が聞こえてきそうです。
この明治中期では婚姻関係を結ぶのに「家父長制」ですから、家主である夫の権力は絶大でした。子どもの結婚を認めないと長である夫が言えば「婚姻を結ぶ」ことができなかったくらいです。今でいう市役所の役割を夫に委託されていたんですね。
恋愛の果てに家の長である男性に結婚を認められなかったら「駆け落ち」するしかなかった。「駆け落ち」した男女は住所がないので就職できない。住所がないと仕事を決められないのです。だから、地方の住み込みで働ける旅館などでよく「駆け落ち」した男女が働いており、旅館の接待さんは流れ者が多いと言われる所以にもなっています。

「駆け落ち」した夫婦って幸せだったんだろうかって考えちゃうよね。
明治後期:女子教育の普及による「良妻賢母」の誕生
明治後期になると日本は戦争に向かっていきます。
戦争で戦力になるのは「男性」であり、「女性」は家庭を守るのが国家としての理想でした。
まさに「良妻賢母」です。
ただ従順なだけでなく、家庭を科学的に管理し、子供を賢く育てる知識を持った妻が求められるようになりました。
現代ではこの役割を男性と女性で一緒のチームとしてこなそうとしていますが、夫と妻の家庭を管理する、子どもの賢く教育する知識と行動と思考に隔たりがあり、トラブルが絶えない家庭が多い印象です。
男女平等で本当の50:50にしたいと思いながらもどちらかが負担の割合が多いため、不満が貯まる夫婦も少なくないはずです。
大正期:サラリーマンの登場による「友達のようなモダン夫婦」
大正デモクラシーや都市化の進展により、企業に勤める「サラリーマン」という新しい階層(新中間層)と、専業主婦が誕生した時期の代表例です。
つまりは、明治期では第一次産業に90%従事していたにもかかわらず都市化された社会ではサラリーマンが多く生まれて、農業の妻からいわゆる「ホワイトカラー」であるサラリーマンと結婚することで女性の権威が上昇する「上昇婚」が生まれだした時代です。
「ブルーカラー」である、第一次産業:農業、林業、漁業などに比べて「ホワイトカラー」へとステータスが上昇する結婚は女性の憧れであり、「専業主婦」が生まれたのもこの時期になります。
個人の感情や自由が尊重され、「恋愛・セックス・結婚の三位一体化」という現代に近い価値観が浸透しだしました。
ただし、この個人の恋愛感情が日本全国に尊重されだすのは、戦後の昭和20年以降になります。現に地方では、まだお見合い結婚が主流で明治の「家のために耐える嫁」思想は残ったままでした。

現在でもそうですが、都会と地方では「夫婦」の価値観が違いますよね。辻村深月さんの「傲慢と善良」にも良く描かれる都会と地方の「結婚観」のズレです。
4.昭和(戦後・高度経済成長期)「企業戦士」と「専業主婦」の最強タッグ
1950〜1970年代、新しい民法で「個人の尊厳と両性の本質的平等」が定められ、経済が急成長した時期です。
夫は会社に全てを捧げる「企業戦士(モーレツ社員)」、妻は家事・育児・地域・家計のすべてを完璧にワンオペで取り仕切る「専業主婦」という、徹底した性別役割分担が標準化しました。
夫は「稼ぐ人(大黒柱)」、妻は「守る人」という、お互いの領域に口を出さない戦友のような信頼関係です。この時に恋愛結婚が増え始めて1970年には恋愛結婚が61.5%まで急増し、見合い結婚(33.1%)を明確に抜き去っています。個人が選んだ夫婦が全国的に普及しだした社会ですね。
昭和(バブル期)〜平成初期:「友達夫婦」と「格差への不満」
1980年代後半〜1990年代、男女雇用機会均等法(1986年施行)が始まり、女性の意識が大きく変わった時期です。
女性の意識をブーストしたのは男女雇用機会均等法ですが、社会が女性の労働力を欲した女性の労働力を求めて経済成長したかったと言い換えてもいいかも知れません。
男性と女性は結婚後も対等に友達のように仲良く暮らす「友達夫婦」が理想とされる一方、女性のみ家事・育児の負担が女性に偏ったままであることへの不満が表面化しました。1985年に林郁さんの著書『家庭内離婚』が出版され、ベストセラーになります。

家事・育児の負担が我慢できなくなって「家庭内で離婚」「熟年離婚」が出てきだしたのもこのころからよね。
6.平成(中期〜後期)「分担・パートナー」へ
2000年代以降、バブル崩壊後の長期不況により、共働き世帯が専業主婦世帯を完全に逆転した時代です。
夫の収入だけに頼れないため、夫婦双方が働き、同時に家事・育児もシェアする意識が求められるようになりました。

平成途中から上がらない給料に男性なのに一家を食わせられないとプレッシャーにさらされる男性も多く、中年男性の自殺率も上昇していきました。
明治の「家」から始まった夫婦の歴史は、昭和の「役割の完全分離」を経て、平成には「個人の尊重と対等な協力」へと形を変えてきましたね。
現在では「対等」の形を巡って夫婦間でのトラブルが避けられません。男性が我慢するか、女性が我慢するか、お互いが我慢するか…。戦後の恋愛推奨から恋愛によって「幸せに暮らしました。めでたしめでたし」のその先である「夫婦生活」には課題が多く残されたままです。
「夫婦」の形
夫婦の形は時代によって変わっていきます。
ただし、明治大正昭和というのは「家計」をひとつにして暮らすという意味では「運命共同体」でしたが、平成中期~後期にかけて「家計」を別々にして自立した大人がひとつ屋根の下で暮らすという分離した状態のまま「夫婦」というレッテルが張られただけの状態になったのが現代の「夫婦」です。
汝、星のごとくでは
主人公 櫂のお母さんはスナックを経営して居ました。どこの土地に行っても生きてはいける女性です。そして、心の支えの男性だけを探す母親でした。
ヒロインの暁美の母親は夫の経済的な支えがなければ生きていけない状態だからこそ、夫が不倫をしていても「別れられない」という怒りを胸に閉じ込めるもどかしさを持って苦しく生きています。
経済的に自立できる女性と自立できていない女性の苦しみの問題は同じく「パートナー」からの大事にされている状況が欲しいという欲求でした。
経済的に自立していても、できていなくても「パートナー」が幸福に寄与している「私たち」という存在を三宅香帆はどう定義するのでしょう?
深夜にTwitterでポストするようなテンションと言葉遣いで、思いもよらない視点をくれるのが現代社会の三宅香帆という存在です。
今最も脂がのっている。今最も「旬」な文芸評論家が、夫婦関係でお困りの皆さんに新しい視点を与えてくれる待望の新書となっています。
まとめ
「考察する若者たち」を読んだときの感想は、現在三宅香帆の視点は「確変」しているということです。三宅香帆にしか見えない視点で言語化し、分かりやすい言葉でアカデミックな内容を踏まえて教えてくれる。
今、知りたいことを面白く教えてくれるまさに「新書の女王」の称号を授けたくなるような存在です。
三宅香帆さんがどう「「夫婦」不在社会」を書いたのかぜひ中身を読んでみてください。苦しんでいた夫婦関係、疲弊するだけの婚活にもさっと爽やかな風が吹き抜ける視点が手に入るかも知れませんよ。




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