「ほら、パパが読みたかった本だよ『あの戦争』は何だったのか。略して「あの戦」。」
そう小学6年生の娘に言ったら、笑って「あのちゃん」みたいだね笑と笑い話になるほど、今の日本では戦争は遠い過去の出来事です。もう日本の総理が戦後80年談話といって戦後80年も経っていれば、「あの戦争」は歴史の1ページに収まるほど紙の質感しか実感がない文字になり果てています。

もし、子どもを育てていたら親として日本の80年前の戦争をどう伝えますか?
何となく気になっていた「あの戦争」ってなんなんだろう?学校で勉強してもピンとこなかった「あの戦争」が明確になっていくのが講談社現代新書から出版された辻田 真佐憲 著『「あの戦争」は何だったのか』でした。
あの戦争の「原因」や「全体像」をざっくりと把握できる本は少なくなっている印象です。この記事では、もし、子どもがいたら親として日本の「あの戦争」をどう伝えるかを考えてみる試みです。この本は、右でも左でもない「日本人の物語」を再構築して、現代人にとって未来につながる歴史叙述を試みる力作だと思っています。
呼び方が沢山ある「あの戦争」問題
ややこしいのは日本の戦争にはいくつもの呼び名があることです。「第二次世界大戦」「太平洋戦争」「大東亜戦争」日中戦争も絡んでなかった?全く分からない!!これをまず解決するのが「あの戦」ちょっと表にしてみました。
| 名称 | 期間の起点 | 主な範囲と背景 | 備考/歴史観 |
| 日中戦争 | 1937年7月7日(路溝橋事件以降) | 日本と中国との間で続いた戦争の期間。日本側の呼称としては「支那事変」とも呼ばれた。 | 日本人の戦争犠牲者数310万人は、この日中戦争の開始時点(1937年)から計算されている。 |
| 大東亜戦争 | 1941年12月8日(対米英宣戦布告以降) | 戦時中に日本が使用した名称で、対米英への宣戦布告をもってこの名称とする決定がなされた。 | 日本がこの名称を使った場合、1937年から始まっていた日中戦争(支那事変)の期間が浮いてしまう(含まれない)問題が生じる。 |
| 太平洋戦争 | 1941年12月以降(真珠湾攻撃が起点となりかねない) | 戦後、連合国軍(アメリカ)に占領された際、公文書で「大東亜戦争」の使用が禁じられ、その代わりとしてアメリカが使用していたこの名称が当てはめられた。 | 1941年12月以降の日本と米英との戦争を指す名称であり、日中戦争の期間を含めない。 |
| 第二次世界大戦 | 1939年(ドイツによるポーランド侵攻) | 世界全体で起こった大規模な戦争を指す国際的な名称。 | 1939年を起点とすると、日本はそれ以前の1937年から日中戦争を始めていたため、日本の戦争(「あの戦争」)の始まりを説明しにくいという問題がある。 |
「あの戦争」は何だったのか?で語られる戦争は日中戦争1937年7月7日~終戦記念日1945年8月15日までの戦争のことを指しています。
日中戦争と支那事変が一緒問題
「日中戦争」と「支那事変」は、どちらも1937年7月7日の路溝橋事件(偶発的な衝突)から本格化した日本と中国との間の戦争を指します。

何で呼び名が違うんだ!分かりづらい…。
「日中戦争」と「支那事変」の始まりである盧溝橋事件(1937年)は、宣戦布告なしに始まり、日本政府は当初これを「戦争」ではなく「事変」(日中戦争、支那事変)と呼び、短期決戦で終わらせようとしたが、泥沼化し長期化していく。

国際的に「日中戦争」という名前を使うと宣戦布告なしで「戦争」をはじめたと世界から非難されるし、「事変」とすることで、国際的非難を受け流そうとしたのね。
つまりは、国際的に言えば「日中戦争」であり、日本から見ると「支那事変」という呼び名問題も過去の戦争を難しくしている原因だということですね。

現代のロシアもウクライナ侵攻を「戦争」とは認めておらず「特別軍事作戦」と銘打っている昔日本が同じことをしていたとは…。
大東亜戦争
大東亜戦争は戦時中に日本が使用した名称です。1941年12月8日(対米英宣戦布告以降)を指す戦争ですが、そうすると「支那事変」「日中戦争」がまるまる浮いてしまって別のものになってしまいます。

日本からすると「支那事変」「二中戦争」を別のものとして捉えたかった訳ね。
90歳くらいの方がよく第二次世界大戦のことを「大東亜戦争」と呼ぶのは戦時中の日本の教育が行き届いていたからなのかなと思います。「大東亜戦争」と呼ばせたかった裏が見えてきますね。
太平洋戦争
戦後、連合国軍(アメリカ)に占領された際、公文書で「大東亜戦争」の使用が禁じられ、その代わりとしてアメリカが使用していた名称です。1941年12月以降の日本と米英との戦争を指す名称であり、日中戦争を含めない呼び方ですね。
戦後の教育を受けた人々は日本が敗戦した戦争のことを「太平洋戦争」だったり、「第二次世界大戦」と呼んだりしますね。この呼び名も戦後の教育の賜物であるといえるでしょう。

子どもの頃受けた教育によって呼び名や歴史観が作られていくのはすごいし、怖いことでもあるね。
第二次世界大戦
1939年ドイツによるポーランド侵攻を起点とする世界全体で起こった大規模な戦争を指す国際的な名称です。1939年を起点とすると、日本はそれ以前の1937年から日中戦争を始めていたため、日本の戦争(「あの戦争」)の始まりを説明しにくいという問題が生じます。

もうどの名称を使えばいいのか分からないわ!!
どの国から見た視点かによって過去の戦争の呼び名すら変わってしまうことから戦争のカッチリとした枠を捉えることが出来ないという問題が生じては解決できずに戦後80年経っているというのが日本の現状だということですね。

こどもにはそれぞれの事情があって呼び名が変わっている。呼び名が変わっているから時期も少し「ずれ」があるんだよね。と伝えようかと思います。
戦争はいつ始まったか問題
戦争は「偶発的」に始まったとされています。
「日中戦争」が明確な目的をもって始まったわけではなく、偶発的な衝突(路溝橋事件など)から意図せず戦線が拡大してしまったという問題です。

よし!戦争はじめるぞ!といって始めた訳じゃないのがまた難しいね。
現地部隊同士が衝突を回避しようとしていたにもかかわらず、日本国の情報錯綜や、中国側・日本側の双方が引くに引けない状況に陥り、泥沼化してしまった。
例えば、南京占領についても、当初日本は進軍を禁じていたにもかかわらず、現地の部隊が手柄を求めて勝手に動き出した後で、「勝った」ことから、日本が「勝ったならばいい!」と追認する形で決定された歴史がある。
今の日本のように総理大臣が権力を持っていたとしても、総理大臣は「やめろ!」と言っているにもかかわらず、現場が動いて手柄を立てたからって総理大臣が「ならそのままでいい!」と進軍を認めてしまうとか今だと考えられないことが起こっていたみたいですね。

戦争をはじめるのが国のトップではなく、現場の「手柄が欲しくて」という理由でスタートしたのも「それでいいのか?」という感じもしますね。
少し、現場の日本兵に思考を巡らせれば、目の前に「勝てそう」な戦があって、待っていたらもしかして「不利」になるかもしれない。だったら、こちらから仕掛けていった方が「有利」である。と思うとき、先手を取って動くこともあるのかもしれないですね。

でも、現代ではトップのいうことを守らない人はいないと思うし、時代なのかなぁ。
この戦争の根源的な原因は、さらに遡って第一次世界大戦後の「総力戦」という概念にあります。
欧米列強に比べ「国力少な」と感じた日本のエリート軍人たちは、資源確保のために満州国の存在が必要だと考え、欧米列強による不平等条約や人種差別の歴史を通じて培われた根本的な不信感の中で、自国の生き残りをかけて国際政治に対応しようとした結果が、この破滅的な流れにつながったと分析されています。

日本からすると白人からの黄色人種差別を撤廃して人種差別をなくそう!といういい主張もしてきたんだよね。でも人種差別はなくならなかった。さらに不利な立場に追いやられていったんだ。
自国の生き残りをかけて、戦争は必要だった?というと過激な言い方になるので「戦争は絶対にダメ」だけど、日本自体も切羽詰まっていたということは知っておかなきゃいけない事実です。
「指導者なき」意思決定と無責任の体系
さらに重要な指摘は、戦前の日本には最終的な意思決定者(指導者)がいなかったという点。

意思決定者は天皇陛下とか総理大臣じゃなかったの?
ドイツにおけるヒトラーやイタリアにおけるムッソリーニのような、国全体の方向性を決定する個人が不在だったため、陸海軍や官僚の枠を超えた調整機能が機能せず、誰が責任者かわからないまま戦争へとずるずると進んでしまいました。
この「無責任の体系」こそが、日本が戦争を止めることが極めて困難になった構造的な要因だったといえます。

先の戦争は白か黒かはっきりわかるような答えが全くないんですね。だから、分かりづらい。でも辻田 真佐憲さんは日本が次の時代へ行くために「あの戦争」を日本人は解釈すべきだと伝えているようにも思いました。
なるべく事実に基づいて書こうとする姿勢は参考文献の多さにも表れています。
もし子どもに日本の「戦争」を伝えるとしたら?

仮に私が小学生の子どもに伝えるなら、こんな言い方をすると思います。
① 呼び名が違うのは、それを使った国や時代の事情が違ったから
→ 「だから“どれが正しい”じゃなくて“それぞれの立場の名前”として理解すればOK」
② 戦争は『よーし始めるぞ!』で始まったわけじゃない
→ 「小さな衝突が大きくなって、止められなくなった。だからこそ、今は小さな争いを大きくしない努力が必要なんだよ」
③ 誰か一人が悪かったわけじゃない。システムの問題、時代の転換点だった
→ 「組織でも学校でも“誰が決めるのか”があいまいだと失敗が起きるよね、タブレット導入したりすると少し混乱も起きる」
④ 日本人にもいいところも悪いところもあった。白黒の話じゃない
→ 「だから歴史は、相手の国の気持ち、日本の気持ち、両方を見ながら考える必要があるよ」

「あの戦」は、
「人間が間違えたら社会はどこまで壊れるのか」
という教訓ですね。
「あの戦」半端ない参考文献
この辻田 真佐憲という人はとても奇特な人だと思います。まじめな性格が参考文献の多さに表れている。いい加減なことを書くことはできない!だからしっかりと情報があるものを元に歴史を解釈しよう!という表れが参考文献の多さから物語っています。
政治家・軍人などの著作・手記・回想録
- 約 31点
- (東條英機、木戸幸一、三笠宮崇仁親王などの回想録や日誌類)
そのほかの単行本
- 約 67点
- (研究書、歴史書、新書など)
そのほかの論文・記事・ウェブサイト
- 約 9点
- (雑誌論文、防衛研究所紀要、ウェブサイト記事など)

一部だけですが、以下にリストアップしてみました。大体下記の6倍くらいの文献を元に書かれたのが「あの戦」ですね。
- 赤松貞雄『東條秘書官機密日誌』文藝春秋、一九八五年。
- 稲田正純「昭南日誌」(防衛省防衛研究所所蔵)。
- 稲田正純(述)「稲田正純氏談話速記録』(日本近代史料叢書B-2)日本近代史料研究会、一九六九年。
- 稲葉正夫(編)『岡村寧次大将資料 上(戦場回想賞)」(明治百年史叢書)原書房、一九七〇年。
- 今村均『今村均回顧绿」芙蓉書房出版、一九九三年。
- 伊藤隆、沢本倫生、野村実(共同研究・解説)「沢本頼雄海軍次官日記日米開戦前夜」「中央公論』一〇三巻一号、一九八八年、四三四~四八〇ページ。
- 伊藤隆、廣橋眞光、片島紀男(編)「東條内閣総理大臣機密記録 東條英機大将言行録』東京大学出版会、一九九〇年。
- 伊藤隆、照沼康孝(解說)「陸軍
- 細俊六日誌』(続・現代史資料4)みすず書房、一九八三年。
- 木戸日記研究会(校訂)『木戸幸一日記』下巻、東京大学出版会、一九六六年。
- 近衛文麿『最後の御前会議/戦後欧米見聞録近衛文麿手記集成』中公文庫、二〇一五年。
- 佐賢了『大東亜戦争回顧録』徳間書店、一九六年。
- 参謀本部「昭和17年3月14月 参謀総長南方出張写真帖」(防衛省防衛研究所所蔵)。
- 参謀本部(編)「杉山メモ 大本営・政府連絡会議等筆記』上巻、原書房、一九六七年。
- 中村明人『ほとけの司令官駐タイ回想録』日本週報社、一九五八年。
- 高松宮富に親王「高松宮日記」第二巻、中央公論社、一九九五年。
- 大東亜省「大東亜会議演説集』大東亜省、一九四三年。
- 田島道治(著)、古川隆人ほか(編)『昭和天皇拝謁記初代宮内庁長官田島道治の記録」三巻、岩波書店、二〇二二年。
- 寺嶋英成、マリコ・テラサキ・ミラー(編)「昭和天皇独白録』文春文庫、一九九五年。
- 東條英機刊行会、上法快男(編)「東條英機」美蓉書房、一九七四年。
- 寺内寿/刊行会、上法快男(編著)「元師寺内寿一」美蓉書房、一九七八年。
- 西浦進「昭和戦争史の証言」原書房、一九八〇年。
- パレンバンの石油部隊刊行会(編)「パレンバンの石油部隊』産業時報社、一九七三年。
- バレンバンの石油部隊刊行会(編)「パレンバンの石油部隊
- 松尾尊充(編)「石橋山評識集』岩波文庫、一九八四年。
- 三笠宮崇仁親王(若杉参謀)「支那事変に対する日本人としての内省(幕僚用)」「This is読売」第五巻第五号、説売新聞社、一九九四年、六ー~七六ページ。
- 三笠宮崇仁「古代オリエント史と私』学生社、一九八四年。
- 三笠宮崇仁「帝王と墓と民衆オリエントのあけぼの」カッパ・ブックス、一九五六年。
- 三笠宮県仁親王伝記刊行委員会(編)「三笠宮崇仁親王』吉川弘文館、二〇二二年。
- バー・モウ「ビルマの夜明け」横堀洋一訳、太陽出版、一九七三年。
- ホセ・P・ラウレル(著)、ホセ・P・ラウレル博士回顧録日本部版刊行委員会(編)「ホセ・P・ラウレル博士戦争回顧録」
- 山崎重武訳、日本教育新聞社出版局、一九八七年。
日本よ次の時代へ行こう!
「あの戦」で語られていることは、「日本はいつまで戦後なのか?」「いつまで戦争の悪者」であるのか?もう一度解釈し直して日本人としての自信を持って国を立て直していこうということでした。
もちろん、日本が行ってきた悪い歴史は悪いものは悪いと受け止めて、謝ることは必要です。戦争時の日本の悪いことを取り上げて外交のカードにされることも現代の政治においてもありますよね。きっちり謝罪すべきところは謝罪しながらも、日本人としてもアイデンティティをしっかりと持って次の時代を築き上げるためには「あの戦争」の詳細を解釈し直して、日本人が戦争を起こした悪人である部分だけフォーカスするのではなく、
人種差別をやめようと言い出したのは日本はかなり前から言っていたことや、良いことも一杯やってきたことにもきちんと受け入れて次の時代を築いていくのが大事だよ。といわれているような気になります。

だからこそ、先の「あの戦争って何だったのか」を知ろうとする試みが非常に大事になります。
「あの戦」は情報のないトンデモ本ではなく、非常に多くの参考文献を取り入れてなるべく正確に歴史を解釈し直すうえで非常に優秀な本であることは間違いないです。

子どもに日本ってなんで戦争してたの?って聞かれたときに「一言では答えられないけど、一冊の本を読んでみよう!」とおすすめできる信頼できる新書ですね!
まとめ
辻田真佐憲さんの『「あの戦争」は何だったのか』は、
右でも左でもなく、「現代を生きる日本人が未来へ進むために必要な視点」をくれる一冊。

日本人みんなが「あの戦争」を理解して日本のアイデンティティを獲得していったら、またすごい日本が見られるんじゃないかと希望でもあります。
・呼び名が違うのは、その時代の“事情”があるから
・戦争ははっきりとした目的ではなく、偶発から泥沼化した
・誰が決めているのかわからない“無責任の体系”が悲劇を生んだ
・背景を理解することが、未来への教訓になる
子どもに戦争を教えるのは難しいけれど、「形だけの反省」や「一面的な評価」ではなく、構造として理解することが大切かなとおもいます。

あの戦争を学ぶことは、過去を責めるためではなく、
未来をよりよく生きるための“道しるべ”を得るために学ぶってことね!
すっごい今売れている辻田 真佐憲 著『「あの戦争」は何だったのか』ぜひ店頭でも、Amazonでも楽天でも手に取りお読みください。この新書で得る知見があなたの根本の自信を与えてくれるきっかけになるかも知れません。
最後までお読みくださいリありがとうございました。



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