哀を飲む:木爾チレン著は、湿り気のある6月の雨でできた白湯のような物語です。

文字から水が流れてくるのではないかと鬱々とするような詩が物語を構成しています。
基本的に自己肯定感の低い女の子たちの恋愛譚でした。「哀を飲む」を読んでる最中、身体がだるくなって重力が上がった気がして身体が水分を取ったように重くなる小説。重くなった分だけ「哀しみ」と「愛」を飲んで重くなったのだとも感じます。
哀を飲む あらすじ
大ヒット作『二人一組になってください』、『神に愛されていた』のベストセラー作家・木爾チレンのデビュー15周年記念作品です。
愛を失くした女子たちの、性と生についての痛切な短編集。苦しくも美しい、哀と狂気の7編を閉じ込めた一冊。
- 水のように無味無臭で摑めない男との日々「水みたいな人」、
- 明けない夜、名前も知らない恋人との関係に耽る「ジンジャーエールに似ている」、
- 私の体に飽きてきた彼氏に感じる切なさ「ぬるいラムネ」、
- 死んだ夫の骨を飲む妻の物語「骨を飲む」……など、全7話収録。
- デビュー当時から現在へと繫がる、小説家・木爾チレンの軌跡を感じる珠玉の作品たち。
人生のほんのひとときくらいは、
哀しみを味わうのも悪くない。
――飲み込んだ哀しみは、いつかあなたを生かす血肉になる。
【著者・木爾チレンさんからのメッセージ】
何かを失った哀しみというのは、飲み込んだところですぐに消えるわけじゃない。けれど、いつかは体のなかから出ていく。
だから、人生のほんのひとときくらいは、哀しみを味わうのも悪くないのかもしれない。そんなことを考えながら、この短編集を編みました。この本が、誰かにとっての「生きる薬」になることを願っています。 —————木爾チレン
「哀を飲む」感想
読みながら感じたことは、木爾チレンの作品は、芥川賞や直木賞を取るような作品ではないということ、谷崎潤一郎賞を取るような作品を書くことは、今後もないのだろう。精神を病んだ高校生や大学生が書く文体に作者の精神状態は大丈夫なのか?と心配になるほど、その文体からは精神を病むような文章が並んでいました。
文章を書くことは人によっては「文章に心が引っ張られてしまう」。「哀を飲む」に出ている文章であれば心が病的に引っ張られてもおかしうはないと作者の木爾チレンさんの心の健康を心配しながら読みました。ただ、「哀を飲む」の作者は「二人一組になってください」の作者でもあるから、あの作品を書くならメンタル保てそうだなと勝手に想像しました。
「二人一組になってください」については感想をこちらに書いています。↓↓
「二人一組になってください」感想|いじめの構造と加害者の罪について考える
ちょっとだけネタバレすると「水のような人」では、一人の男が忘れられない元恋人の鎖につながれながら、主人公の女性と付き合っており、どう見ても、どう考えても「愛」している。という訳ではなく「哀」しているという表現がぴったりなほど、虚しく読んでいるこっちの心が虚構に包まれてしまいます。
おすすめの人
恋愛を描いているのに必ず哀しさを持った女性が登場する短編は誰におすすめしたらいいんだろうと思いましたが、結局、落ち着きたい、もうこれ以上刺激を得たくない。
生きていてもいいことないし、でも今日も心臓が動いている。生きるために面白くもない仕事に身を捧げては、キラキラしたSNSなんて見たくないと思いながらスマホを夜な夜な寝ながら見ている人の「慰め」になる小説だと思いました。
「愛」という理想を掲げて暮らしてはいるもののそれはどこか悲しく矛盾をはらんだ暮らしをしている。大体気持ちよく生きている人なんて一部の人だけで人間はそれぞれの地獄を抱えて生きている。明るく見えるか、暗く見えるか、傲慢に見えるか、憐れに見えるかはその人の解釈次第で変わっていく。「哀を飲む」は、「慰め」になる小説です。
如何に「慰め」になるかは、読んでみてください。
性的描写
生々しくはない性的描写が多いので苦手な人にはお勧めしません。ただ、いやらしいというよりも性的描写が必要だったのだろうと思います。
物語においてというよりも、木爾チレンさんは、あえて過激にならない刺激を物語に加えるためには性的描写が必要だったのだと思います。
この恋愛譚では、女性を大切に扱っているようで「雑」に扱う男が多い。
「愛」を語って思いを伝えているがその実、「愛」なんてものはない。だから抱かれる女性は「哀しい」を注がれるしかない。その「哀しみ」もなくては生きていけない。ちょっとお休みをするようにプラモデルで「愛」を作って窓から放り投げるように捨てていく。
このものが経ちで書いてあるのは自立した女性の恋愛ではない。愛されていない女性の本物ではなくとも偽物でも「愛」が欲しいというお芝居であることが読者としても哀しい。そしてその哀しさを飲まなければ生きていけないほど、弱い生き物。それが人間であることを見せつけられます。それが人によっては「慰め」にもなると思います。

白湯を飲むような「慰め」が「哀を飲む」にはあると思いました。
この「哀を飲む」が好きな人は1998年に出版された野島伸司著「世紀末の詩」も親和性が高いでしょう。「世紀末の詩」では、主人公が「真実の愛」を求めて否定法でこれも愛じゃない、これも愛じゃないと一話一話真実の愛に迫っていく物語。木爾チレンさんの「哀を飲む」も「真実の愛」を求めてこれじゃないと哀しみを享受する世界観がシンクロしています。おすすめです。
まとめ
「哀を飲む」は木爾チレンさんの世界観を存分に楽しめる短編集です。性的な描写が多く苦手な方にはお勧めできませんが、グロテスクなほどの刺激はなく淡々と性描写が並ぶのでそこまで刺激的ではありません。
それよりも「愛」を享受する行動をしているはずなのに心は「哀しみ」を受け入れている、受け入れてしまっている主人公の女性たちは、夜な夜なスマホを見ながら、人生に絶望している方の「慰め」になるような一冊です。



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