いじめた人は、死刑になるべきだろうか――。
少し刺激の強い問いかけかもしれません。でも、それくらいの強い感情を抱かせる小説があるのです。
木爾チレンさんの『二人一組になってください』(双葉社)は、まさにそんな作品でした。
私たち人間は、常に「人間関係」の中で生きています。
その中で、「いじめない」「いじめられない」といった束縛から、果たして本当に逃れられるのだろうか。
これまでの人生で、いじめに一切関わったことがない人はどれほどいるでしょうか?
「私はいじめたことも、いじめられたこともない」と言い切れる人は、もしかすると“いじめの構造”そのものを見落としているのかもしれません。
「いじめられる側にも原因がある」
そんな言葉を何の躊躇もなく口にする人もいます。でも、学校という閉じられた空間で、ただ日常を過ごしていただけの人にとって、その言葉はあまりにも酷で、重たくのしかかってくるものです。

「いじめられる側にも原因がある」と口にする方はいらっしゃいますが、そんなことはありません!人間関係の構造としていじめが発生しているのです。
「二人一組になってください」
体育の時間やレクリエーションの場面で、先生たちは当たり前のようにそう指示します。でも、その一言が、時に“いじめ”のきっかけや象徴になることもある――。
この記事では、小説『二人一組になってください』を通して、作品の感想だけでなく、「いじめとは何か」「構造的にどう起きてしまうのか」、そして「加害者はどれほどの責任を負うべきか」まで、じっくりと考えてみたいと思います。
文体は非常に読みやすく、物語の世界にどんどん引き込まれていく…そんなエンターテイメント小説です。ですが、読み終えた後には、暗い闇の世界に引きずり込まれた感覚とどこかスッキリする余韻を残してくれました。

まずは「二人一組になってください」の感想とルールからお話します!
感想とルール
「二人一組になってください」――誰もが一度は聞いたことのある、何気ない学校の風景。
でもこの物語では、その一言が、いじめの萌芽をタイトルにした本著は、命をかけたデスゲームでした。
最初は、「「二人一組になってください」という行動から、精神的な死を受ける人物が生まれる小説かな」と思って読み進めていたんです。
けれど実際は、予想をはるかに超えて――命が容赦なく失われていく“本物のデスゲーム”でした。
命を懸けて、生き残るために、必死で「二人一組になってください」の号令に応じ、ペアを探す生徒たち。
彼らが次々と失格=死を迎える中で、その背景にはひとりひとりの人生が丁寧に描かれています。
クラスメイトの人生を一人一人振り返ってどのような出来事が、その子の人格形成にどのような影響を与えているのかを描写していく回想は死に行く者たちへの愛着を湧かせて命が枯れるその時を寂しくさせてくれます。

中学校や小学校の回想シーンがあるからこんな環境だとこんな子になるんだと納得感もありました!

いじめを受ける側もする側もスクールカースト1軍2軍3軍関係なく共感できる部分があります!
「二人一組になってください」のルールは、以下のようなルールが存在します。
・二人一組になってください。
・誰とも組むことができなかった者は、失格になります。その回の失格者が確定したら、次の回へと続きます。
・一度組んだ相手と、再び組むことはできません。
・残り人数が偶数になった場合、一人が待機となります。
・特定の生徒が余った場合は、特定の生徒以外全員が失格になります。
・最後まで残った二人、及び一人の者が、卒業式に出席できます。
・授業時間は60分です。
このルールも良く考え付くなぁと思いました。60分でクラスメイトがどんどん死んでいく様は少し闇落ちしそうですが、文体は軽く、日常にある小ネタをうまく物語に入れ込んでいるので、そうそう!自分も「けいおん」見てた!とか共感しながら物語が進むので非常に読みやすい小説でした。
またこの小説では、単なるゲームのサバイバルでは終わらず、いじめについての考察も随所に織り込まれています。
次の章では、いじめに関する定義や構造について、もう少し詳しく触れていきたいと思います。
いじめの構造
まず、「いじめ」とは何か。その定義について、文部科学省の定義を紹介します。
「いじめ」とは
「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」とする。
※起こった場所は学校の内外を問わない。
つまり、被害者自身が「精神的苦痛」を感じた時点で、いじめは発生しているとされています。
加害者が「いじめたつもりはない」と思っていたとしても、受け手が傷ついたならば、それはいじめなのです。

知らずにいじめていたっていうことも起こりそうね!

いじめている側は気づかないけれどいじめている側は毎日地獄というのはよくある構図ですよね。
「いじめの四層構造」とは?
いじめの現場には、加害者と被害者だけではなく、実はもっと多くの「関わる人たち」が存在します。
その構造をわかりやすく示したのが、以下の「いじめの四層構造」です。
| 層の名称 | 役割・特徴 |
|---|---|
| 加害者 | いじめを直接行う人物。言葉・行動で人を傷つける。 |
| 被害者 | いじめの対象となる人物。精神的苦痛を感じている。 |
| 観衆(ギャラリー) | いじめを面白がって見ている人たち。加害者をあおることで、いじめを助長してしまう。 |
| 傍観者 | いじめを認識しながらも見て見ぬふりをする人たち。沈黙することで、結果的にいじめを黙認してしまう存在。 |
この構造に照らし合わせてみると、自分がクラスのどこの層にいたかが見えてくるかもしれません。
「私は関係なかった」と思っていても、本当にそうだったでしょうか?
このいじめの4層構造にあてはまらない人間などいないことから、いじめに部外者は存在しないという発見的結論は、いじめを防止するには良い発見だと思われます。
いじめには「完全な部外者」は存在しない。
この発見的な結論は、私たちがいじめを防ぐために、非常に重要な気づきになるはずです。
「二人一組になってください」では壮絶ないじめというよりも「無視」や「弁当箱に虫を入れられる」というような陰湿ないじめが黙認されていました。それを知っている生徒、知らないふりをしている生徒がいてすべてが当事者だった。
だから、いじめをした者への裁きであるデスゲームが行われました。

いじめをするのは悪いことだけど、死刑のようなデスゲームをしていいのかな?

いじめられていた人からすれば同じ思いを同じ思いを味わってほしいという復讐的な思いはあるかもね。
いじめの加害者は死刑にすべきか?
この小説『二人一組になってください』では、いじめた者は「死刑」であるという、非常に強烈なメッセージが込められています。
現実ではなかなか口にできない言葉ですが、物語の中ではあえてそこに踏み込み、私たちに問いかけてきます。
思い出されるのは、東京オリンピックの開会式問題。
音楽を担当するはずだった人物が、過去にいじめをしていたことが報道され、その役を辞任することになった事件です。
これは、たとえ30年が経っていたとしても、「いじめた事実は消えない」「許されない」という、社会としての意思表示だったと思います。
被害者は、30年経っても、50年経っても、その傷の影響から逃れられない。
日常生活や人間関係に苦しみ続けることもあります。
一方で、加害者は――何の罰も受けず、過去をなかったことにして、のうのうと幸せに生きている。
本当に、そんな世の中でいいのか?
東京オリンピックでの辞任劇には、いじめた人間が「そのまま幸せになっていいのか?」という、被害者側の怒りと疑問が色濃くにじんでいました。
そして、その感情に、多くの人が共感した出来事でした。
「死刑だ」と言いたくなるほどの怒り
「いじめた人間は死刑でいい」
――これは、いじめられた経験のある人にとって、どこか“気持ちのいい報復”でもあります。
いじめた側がそのままのうのうと幸せになっていいのか?という議論に関しては何らかの罰が当たればいいのに!という気持ちもあります。しかし、自分が犯した罪や人に与えてしまったことについて理解し、反省して、償った後に社会で生きて幸せになればいいと思います。

死刑だなんて過激なことは行き過ぎた報復なのかなとも考えます。
行き過ぎた報復だとしてもいじめられたことがある人にとっては気持ちの良い報復です。人間は人を殺してはいけない。死刑だと断定できるのは一般の人間ではない。
だからこそこの小説が存在する。
小説の中ではどんな人権を踏みにじっても表現の事由によって許される「本」だからこそ表現できることがある。
もちろん、現実の世界では人を殺してはいけない。
「死刑だ」と断定するのは、私たち一般人ではありません。
だからこそ、小説というフィクションの中でしか昇華できない想いがあるのです。
「二人一組になってください」の中では、いじめた人間は死刑になる。
それでいいのです。
そんな半笑いで人の心を傷つけて自分の幸せだけを享受しようとする不逞の輩は被害者の想いをくみ取る脳みそなどなく、考えが及ぶこともなく、幸せになっていく。そんなことが許されていいと思っているのか?死刑だ。死刑である。死刑でいいのだ。そうなるようなことをあなたたちはやってきた。どれだけの怖い思いでその場にいたか、
殺されるという比喩なんてものではない地獄を味わってきたか、その地獄をそのまま味わえ!
現実世界では描けない物語を小説にすることで昇華できる思いもある。
人の心を傷つけ、それに無自覚のまま、自分の幸せだけを求めて生きる人間に対して、
「あなたがしてきたことは、そういうことだったのだ」と突きつける。
被害者の苦しみや恐怖は、単なる比喩ではありません。
本当に「殺されるかと思うような地獄」を味わってきた人もいるのです。
そういった苦しみを、そのまま加害者に返してやりたい――。
この小説は、そんな気持ちを物語の形で昇華させた一冊だといえるでしょう。
小説だからこそ描ける“復讐の具現化”
現実世界では、復讐を果たすことも、怒りをぶつけることも難しい。
でも、だからこそ、フィクションの中で昇華できる怒りや痛みがある。
『二人一組になってください』は、いじめ被害者が抱え続けてきた、
「自分はなぜあんな仕打ちを受けたのか」
「なぜ、あの人たちは罰を受けないのか」
――そんな叫びを、物語として表現し、復讐の感情を正面から描いた小説です。
過去のいじめ体験によって、心に傷を抱えている人に読んで見て欲しい。
この「二人一組になってください」は少しだけでも、心を軽くしてくれる存在になるかもしれません。
「読んでよかった」では済まされない、
でも、少しは気持ちが晴れるはず、そんな力を持った作品です。
まとめ
『二人一組になってください』は、いじめという重たいテーマを扱いながらも、読みやすく、物語にグイグイ引き込まれる一冊でした。
「いじめた人はどうなるべきか?」という問いを通して、自分自身の過去や、これからの人との関わり方を見つめ直すきっかけにもなると思います。
重たい内容ではありますが、読むことで少し心が軽くなる人も、きっといる。そう感じさせてくれる力を、この小説は持っています。
過去にいじめでつらい思いをした方も、そうでない方も、ぜひ一度読んでみてください。
単純にエンターテイメント小説としてもおすすめします!
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